媒体として。

こんばんわ。設計部の菊池です。

先日高円寺にある洋服のお店にお邪魔しました。
ここはかつてダンススクールとして使われていた空間を
一切の内装をいじくることなく使っています。
外からの目印はロゴでもある輪っかを象った蛍光灯のみ。

この日は不定期で開催されるイベントの日。
今回は本来日の目を見る事のないサンプル品ひとつひとつを
生みの親であるデザイナーからの言葉と共に展示、原価で販売するというもの。

楽しみに店内にすると目につくのは今期のラインナップ。
おや、と思っていた所に店員さんと思われる方が来たので尋ねると
80着用意したものが既にわずか5着だけになったため
急遽通常のラインナップを運んできたとのこと。

あらま、と驚きながらも
この人の服への愛着ぶりがどうも桁違いだなと思っていると、
聞けば何とデザイナーさんご本人。
本日2度目のあらま、いただきました。

自分の好きな服の生みの親とお話出来るなんて。しめしめ。
閉店間近ということもあり店内の隅々まで案内していただきました。

お話を伺うと彼曰く、
そこだけの空間で「選び」、「購入」して持ち主の空間で「着る」 という流れ。
「デザイナー」はあくまでも片書きであり、現場に出てお客の声を生身で吸収する。
しかし本来は自然であるこの一連の流れを大事にする店が
じわじわと減ってきている事実があると言います。

住宅でも同じことが言えるのではないかと感じました。
これから暮らすひと。前を通りかかるひと。
この場所に暮らすことでわかる/見えるあれこれ。
ずっと持ち主の物であり続ける建物のこれから。
これらをキャッチ/イメージして提案する媒体としての「設計者」。

土日の在店率が比較的高いとのことなのでまたお目にかかりに参ります。
外に大きな鏡を置いて日の光の下で試着出来る店があったら面白そう!
という僕のわがままの採用お待ちしています。わくわく。

tactac.jp



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by ai-labo | 2015-10-05 22:16 | 菊池 潤 | Comments(0)